平松昭良が盛りつけで考える余白の話|インテリアデザイナーとしての視点
こんにちは、平松昭良です。東京・表参道で家具製造会社のインテリアデザイナーとして働きながら、このブログでは料理を建築やデザインの視点から眺めて書いています。前回は肉じゃがを構造の話として書きましたが、今回はもう少し感覚的なテーマです。皿の上の余白について、そして料理を並べるときの動線について考えてみたいと思います。盛りつけが少し苦手だという方にこそ、読んでいただけたら嬉しい回です。
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詰め込むほど、おいしそうに見えなくなる
料理を皿に盛るとき、つい器いっぱいに広げたくなる気持ちはよく分かります。たくさん盛ったほうが豊かに見える気がするからです。けれども実際には、皿の縁まで隙間なく埋めてしまうと、どこを見ればいいのか分からなくなり、料理の主役がぼやけてしまいます。私が空間をデザインするときにいつも気をつけているのも、まさにこの点です。家具や物で部屋を埋め尽くすと、一つひとつの良さが消え、ただ雑然とした印象だけが残ってしまうのです。
部屋にも皿にも、ほどよい余白が必要です。余白は何もない無駄な部分ではなく、主役を引き立てるための積極的な設計です。皿の上に意図的に空きをつくると、そこに視線が抜ける道が生まれ、料理そのものがすっと立ち上がって見えてきます。盛りつけがうまくいかないと感じるとき、足りないのは品数や彩りではなく、この余白であることが少なくありません。
視線の抜けと、皿の上の動線
大学で環境工学を学んでいたころ、人の視線がどう動き、空間の中でどこに留まるのかという話に触れる機会がありました。人は無意識のうちに、開けた方向や明るい方向へと視線を運びます。この視線の抜けという考え方は、実は盛りつけにもそのまま応用できます。皿の手前を少し空け、奥に向かって高さを出していくと、見る人の視線が自然に奥へと導かれ、料理に奥行きが生まれるのです。
空間設計でいう動線も、皿の上に存在します。動線とは、人が部屋の中をどう移動するかという経路のことですが、料理でいえば、食べる人がどの順番で箸をつけ、視線をどう巡らせるかという流れにあたります。手前にさっぱりしたもの、奥にしっかりした主菜を置くと、自然と食べ進める順番が生まれ、最後まで気持ちよく味わえます。盛りつけとは見た目を整える作業であると同時に、食べる体験そのものを設計する行為なのだと、私は考えています。
ロースト野菜とグリルチキンのワンプレート
考え方を実際の一皿にしてみます。今回は休日の昼にちょうどいい、ロースト野菜とグリルチキンのワンプレートを紹介します。材料は二人分で、鶏もも肉を一枚、お好みの野菜を適量。今回はパプリカ、ズッキーニ、かぼちゃ、紫玉ねぎを使いました。色の異なる野菜を選ぶと、余白の中で彩りが映えます。味つけは塩とこしょう、オリーブオイル、そして仕上げのレモンだけで十分です。
鶏もも肉は塩こしょうをして、皮目からじっくりと焼きます。動かさずに待つと皮がぱりっと香ばしく仕上がります。野菜は食べやすく切り、オリーブオイルと塩をまぶして、二百度に予熱したオーブンで二十分ほど焼きます。素材そのものの甘みを引き出すのが狙いなので、味つけはあえて控えめにしておきます。焼き上がったら、いよいよ盛りつけです。
ここで余白を意識します。皿の中央にすべてを集めるのではなく、まず焼いたチキンを皿の左奥に少し高さを出して置きます。その手前と右側に野菜を散らし、皿の縁にはあえて何も置かない空きを残します。全体を皿の三分の二ほどにおさめる気持ちで盛ると、料理が窮屈さから解放され、ぐっと洗練された印象になります。最後にレモンを添え、オリーブオイルをひとまわし。余白が、シンプルな素材を主役へと引き上げてくれます。
引き算でつくる、心地よさ
できあがった一皿を眺めると、特別な技術を使ったわけでもないのに、どこか整って見えます。理由は単純で、足したからではなく、引いたからです。空間づくりでも料理でも、心地よさは多くを詰め込むことからではなく、必要なものだけを残す引き算から生まれます。何を置くかと同じくらい、何を置かないかが大切なのだと、デザインの仕事を続けるなかで強く感じるようになりました。
盛りつけに正解はありませんが、迷ったときはまず余白をつくってみてください。皿に少し空きを残すだけで、いつもの料理が違って見えてくるはずです。次回は、まな板や器といった道具と素材の話を書いてみようと思います。台所の道具を選ぶ感覚は、家具の素材を選ぶ感覚とよく似ているのです。どうぞ次回もお付き合いください。

